35『魔導都市が秘めし皮肉』



 剣は斬るものであり、突くもの。
 盾は防ぐものであり、護るもの。

 いかに優秀な武具とはいえ、使わないことに越したことはない。
 例え護りきれる絶大な力を持っていても、
 その力が危険を呼ぶなど、本末転倒も甚だしい。



 ディオスカスは手懐けた猛獣を愛でるように、“セーリア”の表面を撫でる。その周りには、切れ目が入っており、その部分が扉のように開く事を示している。

「他の大都市にも“セーリア”は設置されているが、エンペルファータのものは特別だ。元からの動力が違う。魔石中の魔石。下手をすると全ての魔石鉱山を足しても“これ”一つには及ばないかもしれない」

 ディオスカスの口から紡がれて行く言葉を、アルムスは黙って聞いていた。
 エンペルファータ最大の秘め事。どうあっても一般には公開出来ない事実。

「“ラスファクト”こそが、このエンペルファータの“セーリア”の動力」

 星の産物と呼ばれる“ラスファクト”だからこそ、エンペルファータ建造以来、二百日置きにこの地を襲うようになった大災厄を長年退けてこられるほどの魔力を得られた。

「しかし、今までの記録を見れば“ラスファクト”と大災厄には密接な関係がある事は明らかだ」

 エンペルファータを大災厄が襲うようになったのも魔導都市が機能しはじめ、“セーリア”が稼動しはじめた頃と重なる。
 “セーリア”の動力に“ラスファクト”が使われている事実を、知識のある者が知れば、その者達が導き出す答えは一つしかないだろう。

「この“セーリア”の“ラスファクト”があの二百日置きの大災厄を呼び寄せている」

 それはほぼ確信されている事だった。この“ラスファクト”が放つ魔力と、エンペルファータを襲う大災厄の魔力の性質は一致している。だからこそ、この中に収められている“ラスファクト”にも、大災厄のグランクリーチャーと同じ《テンプファリオ》の名が与えられている。
 それならば、“ラスファクト”をどこかへ運んでしまえばいいのだろうが、誰もそうしようとする者はいなかった。
 “ラスファクト”を運び、“セーリア”の護りを失ったエンペルファータを、《テンプファリオ》が襲わない可能性はどこにもないからだ。だから、この事実を知った者たちは、誰一人としてこの問題に関して行動を起こす事はなかった。

 クク、と噛み殺した笑いをディオスカスは漏らした。

「これは今まで聞いた中でも一番に痛烈な皮肉だ。護るための殻なのに、殻自体が危険を呼んでいる」

 この言葉に関してだけは、全くだ、とアルムスは内心で同意する。
 ディオスカスは“セーリア”を離れ、アルムスの元に歩み寄る。
 アルムスはこの次の彼の言葉を正確に予想する事が出来た。

「さて、“ラスファクト”を“セーリア”から取り出していただこうか」


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 《巻き戻し》が成功に終わった後、フィラレスが気を失った事。途端に魔導医師と助手がジッタークを殴り倒した事。そして、抵抗出来ないフィラレスを何か箱のようなものに押し込め、裏口から逃走した事。
 ジッタークが語り終える頃には、全員の表情から血の気が引いていた。

「……医務室に手を出さないと思っていたら……」
「……初めからディオスカスの手の中にあったんやな」

 しかし呆然としていたのも束の間、コーダが一歩進みでて言った。

「俺、フィリーさんを追いやス」
「でも、追うと言ってもどこに行ったのか分からないのだぞ?」

 裏口から逃走したとは言っても、その先の道は沢山あるので追えるはずもない。
 しかしコーダは小さく首を振って答えた。

「情報によると、奴らは魔導レーサー開発の班に仲間を潜り込ませているらしいんス。おそらくそれでエンペルファータを脱出するつもりなんでやしょう」

 半ば確信を持った様子で答えるコーダに、カーエスが視線を送る。

「ほな、任せてええんやな?」
「フィリーさんは必ず取り返しやスよ。便利屋の名に掛けて」

 コーダは力強く頷くと、身を翻して裏口から出て行った。


 コーダを見送った後、エイスが全員を見回して尋ねた。

「さて、君達はこれからどうするつもりなんだ?」

 尋ねられて、カーエスとジェシカは顔を見合わせた。言われてみると、何もする事がない事に気付く。
 今まで忙しかったのは、リクを助けるためで、今、彼の状態は安定している。ジッターク曰く、今はただ眠っているだけ、ということらしい。敵が狙っているのがリクでないと分かった以上、彼を移動させる必要もない。

 沈黙を答えとして受け取ったのか、エイスが重ねて尋ねた。

「何もないのならば、ディオスカスを止めるのを手伝ってくれないか? 奴はウォンリルグに亡命するつもりだ」

 エイスの言葉に三人が驚いた顔でエイスに向き直る。

「え、でも、ウォンリルグは“孤高なる国”ですよ?」と、カーエスが動揺も露に言う。

 “孤高”の名は伊達ではない。ウォンリルグは“来るものは拒み、去るもの許さず”と言われ、何かを受ける事も、出す事も嫌うため分からない事が多い国だ。そんな国が亡命を許すだろうか。

「確かに突飛な発想かもしれんが、エンペルファータでここまで大きな罪を犯しておいて、そのままエンペルファータかカンファータ、もしくはその属国に留まるほど、奴は馬鹿ではあるまい。それに前例が無いわけではないのだ。“セーリア”がウォンリルグの首都に備えられているのがその証拠だ」

 “セーリア”は三大国の首都とこのエンペルファータ、そして外交的に非情に重要な“自由都市”フォートアリントンの五大都市に設置されている。それは約百年前に結ばれた“三大国協商”に乗っ取り、“セーリア”の開発に伴って主要都市の安全を計ろうと、五大都市それぞれへの設置を促したわけだが、受け入れる事も嫌うウォンリルグはこの時ばかりはこの決定に抵抗する事は無かった。

「よって、出す事ならともかく、自分達のとって非情に大きな利益になると分かれば受け入れる事はあり得る。ディオスカスは既に“滅びの魔力”を手にいれている、さすがのウォンリルグも“滅びの魔力”の無限とも言える魔力を見逃すはずはなかろう。それに、ディオスカスはおそらくもう一つ、いや二つ狙っているものがある」
「……それは?」
「“英知の宝珠”と“ラスファクト”だ」

 挙げられた二つの品、特に、後者に驚きを露にする一同に、エイスは自分が知りうる限りの事を話した。“セーリア”の動力が“ラスファクト”であること。それがエンペルファータに大災厄を呼んでいるらしいということ。

「エンペルリースとカンファータの魔導文明の全ての知識が宿っていると思われる“英知の宝珠”。莫大な魔力を誇る“滅びの魔力”に“ラスファクト”。それだけの“誠意”を見せれば、十中八九ウォンリルグはディオスカスの亡命を受け入れるだろう。それに……」

 そこでエイスは一度言葉を切り、目を伏せて一度ためらいのようなものを見せた後に続ける。

「最近、ウォンリルグの挙動が怪しい。もしかしたら戦争になるかもしれない。今回やツが持ち去ろうとしている物は、いわば技術と火力。戦略的に非常に価値のあるものだ。あれらがウォンリルグに渡れば、カンファータ、エンペルリースを同時に相手しても勝利できる可能性すら出てくる。勝算があれば、ウォンリルグも躊躇はすまい」

 つまり、ここでディオスカスをとめることができれば、戦争を止めることができる、もしくは戦争になったとしても犠牲者を減らすことができるということだ。

「それでは一刻も早く止めなければ」と、真っ先に反応を示したのはジェシカだった。先ほどウォンリルグの話を聞いた時から、表情を厳しくしていた。元々、カンファータの軍人、しかもかなりの要職に就いていた彼女はそういった国勢に敏感なのだろう。

「俺にも手伝わして下さい。どっちにしろ、ここでディオスカスを見逃すのはようない」

 一歩ずつ進みでたジェシカとカーエスに、エイスはそれぞれ頼もしそうに頷いてみせる。

「でも、どっちゃにせよ、多勢に無勢が過ぎるんと違いまっか? 上級魔導士もぎょうさん抱えとるようやし」

 意気込む三人に、水を差す事にばつの悪さを感じる様子を見せながらも、ジッタークが発言する。
 それに対し、エイスは少し表情を堅くしながら答える。

「先ほどの戦闘も見ていたが、この二人からは上級魔導士以上の力と戦闘経験の豊富さを伺えた。これなら多少の数の不利は何とでもなるだろう。しかし余りに数が少なすぎる。そこで、魔導学校の生徒達の力を借りようと思う」
「あっ、その手がありまんな」と、ジッタークが手を叩いて感心する様子を見せる。

 確かにそれは有効な手かもしれない。ディオスカスが抱える魔導士の中には生徒達が師と仰ぐ者も多数含まれているが、十年ほど前から一師一弟制が取られるようになってから、魔導士の質はかなり向上した。
 今の師たちはまだ一人の教師に多数の生徒が付いている時代に育ったため、その質は安定しない。あまり対戦することはないが、まともに闘えば意外に力の差はないはずだ。

「しかし、ディオスカスがそれを見逃すとも思えないのですが」

 そのジェシカの言葉ももっともだった。フィラレスをさらうために彼が用いた策を思えば、おのずとディオスカスの頭のよさは分かるというものだ。
 それに同意するように頷いて、エイスは答えた。

「君の言う通りだ。奴は見逃さなかった」と、エイスはディオスカスの手の者によって魔導士養成学校が封鎖されてしまったことを伝える。
「それじゃどうやって……」

 期待を裏切られたような響きのジッタークの言葉を遮るようにエイスは続ける。

「しかし、それはディオスカス最大の失策だったと言えるかもしれない」

 そこで言葉を区切り、エイスは自分の懐から畳んだ紙を取り出し、医務室にあったテーブルの上に広げた。その紙はこの魔導研究所の地図らしく、それも機密扱いにされてもおかしくないほど詳しいものだ。

「ここが中央ホール。そこから北にあるのが研究・開発室棟。名称には現れていないが、ここには行政部も含まれている。その隣には管制エリアもある。そこから操作すれば、魔導学校の封鎖も解けるはずだ」

 その提案に、地図の上を滑るように動くエイスの指から目を離し、一同が顔をあわせる。
 エイスはそんな一同を見渡し、頷いてみせた。

「抵抗されるのを恐れて魔導学校は丸ごと封鎖して動けないようにしたのは懸命な判断だったが、それはそのままこちらにとっての戦力を保存しておくことになったわけだな」

 封鎖されているから動けないだけで、中にいる魔導学校の生徒達は傷付いたわけでも眠らされているわけでもない。封鎖を解けば、彼等はまるまる戦力になるのだ。

「じゃあ、先ずはその管制エリアに行って封鎖を解くんですね」

 カーエスの言葉に、エイスが頷く。

「うむ。生徒達を味方につけても力不足は否めないが、どう闘うかは取りあえず生徒達と合流してから考えよう。時間はたっぷりとある。焦らずに確実に行こう」

 今、ディオスカスは“知識の宝珠”と“ラスファクト”を手に入れるために地下に潜っているはずだ。それなりにセキュリティは施してあるから、どんなに順調にいってもかなりの時間がかかる。

 ジェシカも槍を掴みとり、医務室を出て行こうとしているカーエスとエイスの後ろから付いて行きつつ、ジッタークに言った。

「ジッターク殿はここでリク様の事を頼みます」
「ああ、そっちもようよう気ぃ付けるんやで」


 自分と、眠っているリク以外誰もいなくなった医務室で、ジッタークは静寂に耐えきれなくなったかのように、はぁ、とあえて音を立てて溜息を付く。
 そして、魔法陣の上に眠るリクを担ぎ上げ、ベッドの上に戻してやる。治癒の甲斐あり、先ほどまでその表情に満ちていた苦悶が消え去り、ただただ眠り続けている。
 周囲の状況とは懸け離れたところで安らかに眠るリクの寝顔を見遣りながら、ジッタークは、優しく話し掛けた。

「お前の仲間はよう頑張っとる。お前も仲間の期待に答えて、はよ目ェ覚ましぃや」


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 角の影から、先の通路を覗いた後、ティタは舌打ちをして身体を元の位置に戻す。
 なんとか医務室に戻ろうと、見張りのいない道、もしくはどうにか誤魔化して通ることができる道を選んで進んでいるのだが、遅々として医務室には近付けない。今に至っては通れる道さえも見つけられないのだ。
 行き詰まったこのルートを諦めて、別のルートを探そうと踵を返したティタはそのまま身を固めた。そこに、数人の魔導士達が立ちはだかっていたからだ。

「おや、まだ捕まっていない人がいたのか」

 そう言ったのは魔導士達を率いて先頭に立っている、見覚えのある男だった。髪の少なくなった頭に、肥満が所々に見える体型。見た目からすると器は小さそうであるが、その口元に浮かぶ笑みは不似合いなほどに不適である。

「アンタは確か……魔導学校の校長の……」
「その通り、ドミーニク=バージャーだ」

 ティタが自分の事を知っていたことに気を良くしたのか、ドミーニクは得意げに少し胸を逸らせる。
 そんなドミーニクの挙動に、ティタは内心辟易する。ティタが彼について知っているのは、世渡り上手でうまくディオスカスに取り入り、上級魔導士の資格と魔導学校校長という不相応に高い地位を手に入れたことである。
 そんな人の噂話をまともに取るほどティタは愚かではないが、彼の人と成りを見ていると、それが真実であると感じていた。上級魔導士の資格とはいっても、彼の実力は普通の中級魔導士より遥かに劣るだろう。体型からして訓練も怠っている様子でもあるし。

 だが、それでも魔導士ですらないティタが適うわけがない。隙を見て逃げようとしたティタの身体を、あっさりと《蔓の束縛》で身動きが取れなくなってしまう。

「どこに行く気かね。別に無理はしないで眠っていればいいだけだというのに」

 どこか嗜虐的な雰囲気を纏ったドミーニクが縛られたティタに話し掛ける。
 ティタはそんなドミーニクを睨み付けて答えた。

「関係のない人達を眠らせたりしてるんだから、わざわざ聞かなくても分かっているんだろ」
「それもそうだ。しかし、ここまで頑張った褒美に選択肢を与えてやってもいい」

 ティタはその瞬間、彼の笑みに下卑たものが加わるのを感じた。ダクレーのものにも嫌悪感を感じたが、ドミーニクに感じるそれも負けてはいない。

「選択肢?」
「邪魔をせず大人しくしていると約束するのなら、君も我々の仲間にいれてウォンリルグに連れて行ってやろうというのだ」
「ウォン……リルグだと?」

 不意にドミーニクの口を付いて出た国名にティタは思わず聞き返す。

「その通り、私達はこれよりウォンリルグに亡命をする。あちらは既に受け入れてくれる気でいるらしい。無論、私達もそれなりの“誠意”を見せなければならないがね」
「まさか“英知の宝珠”を持ち出す気かい?」

 “誠意”と聞いて、先ず初めに思い当たったのがそれだった。魔導研究所の持ちうる全ての知識を集めた魔導器。それにはもちろんティタの研究内容も収められている。そしてミルドのものも。

「もちろん。世界最高峰の知識の結晶なんだ。“孤高なる国”である手前、表には目を向けもしないが、あちら側も喉から手が出るほど欲しいだろうよ」
「アンタ、自分のやってることが分かってるのかい? あれはただ知識が詰まった魔導器じゃない! 私達が手間暇かけて育て上げた子供みたいなもんなんだ! 夢そのものなんだよ? アンタらの一存でほいほい持ち出したりしていいモンじゃない!」

 思わず、ティタが怒鳴るが、ドミーニクはそれに動揺した様子はない。それどころか、ティタの言葉を嘲るように笑ってみせる。

「おやおや、外見は冷たそうだが中身は案外アツいようだ」

 そう言って、《蔓の束縛》で縛られたままのティタに近付く。

「それで、どうする? ここで眠るか、それとも私達に付いて来るか。後者は特別な措置だからね、それなりの“代償”は必要だが」

 含みのある物言いだったが、その行動でそれが何を言わんとしているのかは明白だった。動けないティタの太ももを撫で上げたのである。
 ティタも三十路に入り、もう一概に若いとは言えない年齢になったが、老いているわけでもない。そのプロポーションは魅力的であり、成熟した美しさに溢れている。ドミーニクがそんな彼女の身体に目を付けるのも不思議ではない。

「………っ!」

 全身に悪感が走り、服の下では鳥肌が立つが、動揺は見せないようにする。眠ることを選択しても、この助平が相手では全く信用が出来ない。
 未だかつて感じたことのない身の危険に、ティタは本当に珍しく恐怖を感じた。

 化粧などする気など起こらない自分が、密かに毎日運動をしたりして、体型を保つ努力をしているのは全てミルドの為だ。
 こんな男に身を任せるなどもっての他である。

「さあ、どうするかね?」

 ドミーニクが下心を覗かせる笑みをみせ、太ももから尻に手を伸ばしながら答えを急かすが、ティタは冷たく彼を睨んだまま答えない。どちらに答えても結果は同じだ。ならば答えずに時間を稼ぐ。
 たった一つの可能性に望みを賭けて。

 カウントダウンをするがごとく、ティタの肢体を這い回るドミーニクの手は上へ上へと伸びて行く。
 そして、その手が胸に伸びようとした時、爆発的な突風が吹き、ドミーニクの身体が後方へと吹き飛んだ。

 同時に、ティタを縛っていた蔦も切れた。しかし彼女は未だ身動きが出来ない。
 それは背後から何者かに抱き締められていたからだが、彼女はドミーニクに触られていた時のような嫌悪は一切感じない。
 自分を抱き締める腕が誰の腕なのか、それがはっきりしているからだ。もう、何度も何度も抱き締められ、その力の入れ具合、感じる意外に厚い胸板と太い腕。
 彼女が心の中で呼び続けていた名前の持ち主。

「ごめん、ちょっと遅くなったね」
「全くだね……まぁ、来てくれたからいいよ」耳もとで囁かれたその声を、くすぐったく感じ、ティタは微笑みながら答え、改めて声に出して彼の名を呼ぶ。

「ミルド……」

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